おちゃのま商店

OCHANOMASHOTEN

おちゃのま商店は、リベットボタン(あそびクリエーター)と山口泰志(プランナー)の創作ユニットです。
ヘンテコな日常を"ポップ"に切り取った音楽や絵本、グッズ、キャラクターの世界を“おちゃのま”に発信します。
【お】たのしみに〜。

リベットボタン/あそびクリエーター

(経歴)
幼少期からスケッチブックを手放さないほどのお絵描き好き。小学校に入学すると校内行事のパンフレットの表紙などを担当し絵の技術をひっそりのばしていく。中学は美術部に入部し「こども県展」で特選を受賞したことで美術を本格的に学ぶことを決意。全国で一番と名高い指導者のいる高校に進学し美術部に入学。美術部では油絵を専攻しコンクールで賞を受賞するまでに成長。同時に軽音部にも所属し校内外7つのバンドでボーカルを担当し、ライブも多数企画。高校卒業後はデザイン専門学校に入学。専門学校卒業後は音楽活動をメインに路上ライブを始める。作詞作曲も行いさまざまな楽曲を制作。2016年にTAN-SUのメンバーとなり、音楽やイラストセンスを生かし地域に寄り添った作品づくりをスタート。高知県日高村オムライス街道テーマソング「トマトの神様」を手掛けたことで、オムライス大使に就任。以後、様々な地域に作品を提供している。パンツをはいた野菜のキャラクター「ベジパンズ」は、食品メーカーとコラボし「おべんとケース」として全国のスーパーやドラッグストアで販売中。

(受賞歴)
中学/こども県展特選を受賞
高校/全日本学生美術展 個人BEST6「推奨<審査員特別講評>」を受賞
第13回 高校生国際美術展 美術の部にて優秀賞を受賞

(主な実績:音楽)
高知県日高村オムライス街道応援ソング「トマトの神様」楽曲制作/高知県日高村オムライス街道 第5弾テーマソング「Ketchuppy Drive」楽曲制作/新潟県上越市利雪プロジェクト応援ソング「そらからのたからもの」楽曲制作/宮崎県五ヶ瀬町テーマソング「ひかりのまち」楽曲制作/新潟県立高田高校安塚分校 応援ソングプロジェクト「あしたへの架け橋」制作/千葉県野田市特産えだまめ応援ソング「えだまめマーチ」楽曲制作/雑誌「オズマガジン」30周年記念ソング「よりみち。」楽曲制作/食育ソング「いただきますとごちそうさま」制作 など

(主な実績:イラスト)
高知県日高村オムライス街道第5弾パンフレット/オムライス街道カレンダー制作/埼玉県三芳町PR動画「おいもトリップ」挿入イラスト/レシピ本「きのこ女子大のラクうまヘルシーレシピ」絵本ページ担当/東洋アルミエコープロダクツ×「ベジパンズ」商品デザイン他多数 オフィシャルサイト

山口泰志/プランナー

(プロフィール以前のプロフィール)
幼少からピアノ、絵画、英語、体操と、やりたいと言ったらすぐに教室に通わせてもらい、辞めたいと言ったらすぐに辞めさせてくれる、割とポップな両親のもとで特段何も習得せずにすくすくと成長。幼稚園の時は天才児と言われたくらい頭が良かったらしいが、これは親が言っていただけなので何がどう頭がよかったのかあやしいものだ。幼稚園も自由に休ませてもらえる環境で、理由は「男はこれから一生働くので休める時に休んでおけ」という母親の教育方針だったようだ。幼稚園からはヒンシュクを買っていたようだ。

小学時代はちょっと肥満気味でモテる気配もしない。小学校4年生の時の自由研究は「ロサンゼルスオリンピックの研究」。メジャー新聞や雑誌を全紙購読し全日程の競技結果をまとめたり、新聞にごとの報道の違いなども観察。ちょっとした裏話なども盛り込んでA1の模造紙に50枚以上の研究資料を持って新学期に登校。自分なりに一生懸命やったつもりだったが、思っていたほど先生に褒められずふてくされたことは覚えている。自由研究って何なんだ。小学5年生の時に先生に命令されて生徒会の書記に立候補させられるが見事落選。いてもいなくてもいいであろう小学校の「書記」という役職に無理矢理立候補させられて落選するってことは、相当人気がないと同時に心の傷も深くなるに決まっている。顔で笑って心で泣いて・・・。

中学では野球部に入部。以後、大学まで野球部に所属。なぜかピアノだけは15歳まで辞めさせてもらえず、思春期の体育会系男子としては、友達の前で「ピアノのレッスンにいかなくちゃ!」、なんてことは口が裂けても言えるはずもなく、ひた隠しにして中学生活を送る(どうやらバレてはいたようだ)。美術と図工と家庭科の成績は概ね良好。それと何故か数学だけは偏差値70越え。

高校は体育会の学校に勉強で進学したが奇跡の首席入学。入学の挨拶を読むことになってビビった。野球部時代は地獄の部活生活で記憶があまりない。授業参観に母親が上下サテンのピンクにアフロヘアで来たときは、「終わった!」と思った記憶だけが残っている。

野球推薦というありがたい制度で大学に入学。大学時代にバイト先の先輩から教えてもらったサザンロックに感動し70年代ロックにはまっていく。卒業論文は「ウッドストックの功罪」をテーマに研究し何とか卒業。卒業後はエンターテインメント業界に行きたいという思いを胸に秘めたまま就活もせずプラプラしていたが、日本のツリーハウスの第一人者の小林崇さんに拾ってもらい住み込みで働く。夢さえあれば超安月給でも生きていける、はずもなく現在位置を確認した時に危機感を覚えて1年で転職を決意。出版社を経て、25歳でテレビ業界へ!

29歳の時に当時浦和レッズで日本代表の千島徹くんと、吉本興業の本田みずほさんと3人で「コンクラ」というアート集団を結成して下北沢や銀座でグループ展を開催。毎回盛り上がったが、みんな忙しくなり数年で解散。高校時代の同級生のビビる大木くんとは今でも仲良しです。子どものころ中途半端にこなしてきた音楽や絵も、かじっておいてよかったと思える今日この頃。以後、プロフィールへ!おちゃのま商店ではプランニングや絵本作品の原作、商品企画を担当。

あいうえお表

ベジパンズの缶バッジ

農家さんとお仕事Tシャツ