ひきだし研究所 Hikidashi Laboratory

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ひきだし研究所 Hikidashi Laboratory

中学1年生の美術の授業で、野村先生は何故僕の通信簿に5をくれたのか?30年後にようやく自分の中で理解できた。 

【コラム】

中学1年生の美術の授業で、野村先生は何故僕の通信簿に5をくれたのか?30年後にようやく自分の中で理解できた。 

2022.02.22
まなぶ

『執筆:山口泰志(ダジィ)』

中学1年生の時、美術の授業がスタートした。
美術の担当の野村先生。鉛筆立てをデザインするという授業課題かあり、僕は何を描くかなかなか決まらずもたもたしていた。

木製の四角い鉛筆立ての4面に絵を描くというシンプルな課題なのに、悩んでしまってなかなか進まない。週に一回の授業なのに、1ヶ月たってもまだ何を描くか決まらず、他の子に遅れを取ってしまって焦っていた。結局僕だけ宿題にしてもらって自宅で作業をすることになる。

野村先生は叱りもせず、むしろ
『じっくり考えなさい』
といって優しく見守ってくれた。

結局、僕がデザインしたのは、4面にアルファベットのABCDを描いただけというシンプルなものだった。

何故こうしたのかと言うと、世界は言葉でつながっていて、その始まりはアルファベットのABCD。とってもシンプルだけど子供も大人もみんなが知っていて可愛いから。文字を書く鉛筆の入れ物だから言葉をデザインすることを考えました。

制作理由をこんな説明文にしたと思う。

考えて考えてこれかー、と自分の中でガッカリしてて、僕には美術の才能はないなーと落ち込んでいた。なぜなら僕は美術やデザインや造形物が小さなころから大好きだったし、入選したこともあるし、少しくらい自分には美術の才能があるといいなーって期待していたのだ。たわいもないデザインアイデアに、デッサン力もあるわけでもなく、あー、やっぱりダメだなぁと思って、野村先生に提出した。

しかし野村先生の反応は全く違うものだった。
『山口、お前すごくユニークなテーマだな。こうやって考えることが美術なんだぞ、悩んだ甲斐があったな、ご苦労さん』

僕は飛び上がるほど嬉しかったのを思い出す。


昭和49年生まれの僕らの時代の中学は、スポーツができる子が目立っていて、僕も野球部にいながらも美術や音楽も好きだったのですが、女の子みたいだと言われることもあった。でも絵を見たりアートに触れたり、いろんなデザインを見ることは大好きだったので、いつも一人で楽しんでいたのが正直なところ。高校や大学の授業ではほぼアートに触れることはなく、趣味で音楽を聴いたり、可愛いデザインの雑貨を集めたり、洋服をデコレーションしたり、リメイクしたりして自分なりのアートを楽しんでいた。


その後、エンタメ業界に就職し、テレビやラジオ、雑誌、音楽、映像、本の制作などに関わってきました。先輩たちやクライアントさんたちのやりたいことを形にすることを生業にしてキャリアを積んできました。求められる答えに近づくことが仕事でした。

2007年、33歳の時にそれまでの既存の制作のお仕事だけでなく、新しいメディアのビジネスをみつける部署をつくりました。個人的にも地方の文化や歴史に興味を持っていたので地域活性プロジェクトとして地方の観光や産業のプロモーションをする事業をスタートし、僕は担当部長に昇進しました。

一人しかいないから部長になるのは当たり前(笑)当時は地方のお仕事なんて都落ち感があって、地方活性という言葉がボランティアみたいなイメージを持っていたメディア関係者は多かったです。

部署名はTAN-SUといって今の会社の屋号にしたんですが、アイデアの引き出しをたくさん作ろうという思いを持った部署名です。それまでメディア業界の中でも地方活性に注目した事業は無くて、新しいトライでした。

特に音楽やデザインなどのクリエイティブを大切にし、そして地域を舞台にしたWEBメディアを立ち上げ運営するという新しいメディアとクリエイティブの形態を作りました。ある意味エンタメ市場に提供していたコンテンツを社会支援に重きを置いたアプローチに転換し、オリジナリティを持ったメディア事業のスタートです。

こうして試行錯誤しながらTAN-SUスタイルを作ってきました。しかし、心の奥底にずっと抱えていたのは、これまでのお仕事をもらうというやり方では未来には生き残れない、こらからはオリジナルのサービスやコンテンツを育てて、社会ニーズとマッチングしていく必要があるということ。そして2016年会社を設立しました。下請けではなく共に創る『共創』時代への突入です。

2011年以降、国の地方創生の政策もさらに進み、地方からでも様々なイノベーションが生まれ、東京や都心だけがビジネスの拠点ではなくなりました。SNS時代にも突入し誰もがメディアを持てるスピード時代に過去のサンプルを真似るだけでは新しいものは生まれないし、僕たちはオリジナリティを持たなければ生き残れないと感じました。

割愛しますが、僕はライセンス時代到来と考えてます。

僕も以前からナラティヴ思考やアート思考に注目してきました。物語をつくる力、自分の答えを見つける力、新しい課題を見つける力、これには教科書を見ていても見つかりません。

様々な本に出会い、徐々にアート思考の必要性は確信に変わりました。

そんな中で美術教師の末永幸歩さんの書いた『13歳からのアート思考』を読んで、日本の美術教育から考察するアートの過去と未来に触れて、中学1年生の時の記憶が蘇ってきた。末永先生はアートをたんぽぽの花に例えていますが、作品として見るアート、いわるん花の部分はほんの一部であり、花が育つまでの過程、作品を生み出すまでの考察、探究などの思考部分がアートの大部分であることを知った。花の根っこ作りである。

レオナルド・ダ・ヴィンチは7000ページのスケッチがあるにもかかわらず、生涯9作品しか残していない。これは考察や探究に膨大な時間を費やしたからです。

様々な情報がいとも容易く手に入り、差別化しにくい時代、しかも目まぐるしい変化満ちた時代。物事をどのような視点で見るか、世の中をどう考察するか考えて、僕はアート的な思考のデザインにたどりついた。

そのきっかけを作ってくれたのが野村先生。あの時、制作にもたもたしている僕を叱りつけたりしていたら、おそらく僕は美術を嫌いになっていて、絵が上手い人だけが美術をやる価値があると頭でっかちになっていたはず。

ビジネスにおいても、考える思考自体がアートだということを知り、僕は言葉を形にしてライセンスにするワードアートを大切にしている。

野村先生は、僕の通信簿に5をくれた。
考えることにより自分なりの答えを導き出したことを評価してくれたのだ。

今、僕はあの時の野村先生のことによって救われているのだ。ありがとございます。
心から感謝しています。

トマト
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