地域コラボ(タンスの引き出し)

2016.07.01 Fri
東京レター番外編 「ライター高倉優子の熊本帰省日記 その2」

   TAN-SUで、心に残るエピソードと短い手紙を1冊の本とともに紹介するエッセイ「東京レター」を連載していたライターの高倉優子さん。熊本出身の彼女が4月14日と4月16日に発生した熊本地震の後、被災した故郷へ帰省し、実際に見て、聞いて、感じたことをエッセイとして綴ってくれました。3回の短期集中連載としてお届けします。今回は第2回、第1回はこちらから。http://tan-su.com/archives/12516

 

あまりに変わり果てた熊本城を見て、言葉を失う。

自宅の片付けが一段落したので、父母を誘って「熊本城や街の様子を見に行こう!」ということになった。被害の状況をこの目で確かめておきたかったのだ。

熊本城までは通常、徒歩約10分。「熊本のシンボル」といわれるお城は、私たち家族にとってはひときわ身近な存在で、父母には散歩コースであり、城内の一角にある県立高校に通っていた私にしてみれば、通学路のちょうど中間地点にあった。

毎朝「おはよう、熊本城!」と声を掛けるように自転車で通り過ぎる。それが3年間の日課だった。

熊本城の石垣は、地面付近は勾配がゆるく、上に行くにしたがって勾配が急になる独特な造りをしていて、城に侵入して来た敵の「武者(=武士や忍者)」をひっくり返してしまう様から、「武者返し(むしゃがえし)」と呼ばれている。

その曲線美と、威風堂々とした黒壁の大小天守閣はどれだけ眺めていても見飽きなかったし、休みのたび二の丸公園へ行っては読書したり、物思いにふけってみたり、桜の季節になると、のんびり花を愛でるのが何よりの楽しみだった。

また、城内にある「加藤神社」で初詣するのも大切な年中行事のひとつで、私たち家族にとっては「県のシンボル」とか「重要文化財」といった大仰なものというよりも、「近所にある憩いのスポット」というほうがしっくりくるのだった。

そんな大切な場所は一体、どうなっているのだろう……。

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SnapCrab_NoName_2016-7-1_5-38-11_No-00城のお膝元・京町エリアは、ブロック塀が倒れ、電柱が傾き、住人たちが避難して無人となったアパートや、「危険宅地」という赤い紙を貼られた住宅が数多く見受けられた。甚大な被害を受けた益城町や東区の比ではないが、我が家のある西区~中央区の一部のエリアも大きな痛手を負った

 

熊本城への最短ルートは落石等の影響で通行止めになっていて、いつものように徒歩10分で行くことは不可能だった。そこで京町台地を下り、迂回路として熊本県道303号(四方寄熊本線)を通って行くことにした。

熊本県道303号沿いにある「KKRホテル熊本」は、熊本城をバックに記念写真が撮れるスポットとして人気が高い。妹夫婦が結婚式を挙げた思い出の場所でもあるのだが、立ち寄ってみたらあまりにも風景が一変していて言葉を失った。

ホテルの庭から見上げると、大天守の瓦と鯱(しゃちほこ)が落ち、茶色い屋根がむき出しになっているのがハッキリとわかる。父が低い声でこうつぶやいた。

「残酷か……。悲しすぎて、涙も出らんばい」

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7ホテルの入口に掲げられた「がんばろう! 熊本」というメッセージボードを見て、ウルウルすると同時に少しだけ勇気が湧いた。いつかまたこのホテルでも、美しい熊本城をバックに素敵な記念写真が撮れる日が来るはず、と。

 

被災した神社は、さながら観光地のようだった。

KKRホテル熊本からさらに市街地方面へ進むと、高石垣の上に、国指定の重要文化財に指定されている櫓群(やぐらぐん)が並ぶ美しい景観が広がっている。が、その一帯も大きく様変わりしていた。石垣が崩れ、櫓も引きずられるように地面に転げ落ちている。

熊本城の櫓の多くは、1877年の西南戦争の折に焼失してしまったが、これら「北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)」や「東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)」は幸運にも焼けずに残っていた。それだけに今回の地震で被害を受けてしまったことが悔しくて仕方ない。

普段は自動車やバスで往来する人が圧倒的に多い県道だが、この日は撮影しながら歩いている人がかなりいた。なかにはやじうま根性の人もいただろうが、この惨状を目に焼き付け、長い年月がかかろうとも復興していく姿を見届けたいと願っている人もいたはずだ。

私自身、テレビや新聞では何度も見ていたけれど、肉眼で見てみるとかなりの衝撃だった。ショックも受けたが、同時に「何かしたい」「何かしなくては」という気持ちが強くなったようにも思う。

まずは「誰かに伝えたい」という気持ちが高まった。撮影していた人たちも同じなんじゃないだろうか。伝達の手段はメールかもしれないし、SNSかもしれない。ひとりでも多くの人に熊本の現状を知ってほしいと思って、衝動的に写真を撮っていたと信じたい。

櫓群から100メートルほど進んだ先にある「熊本大神宮」でもまったく同じことを感じた。

熊本大神宮の社務所は、まさに櫓群の巨石等が屋根を突き破って落下したため、押し潰されてしまった。立派な日本家屋がペシャンコになったインパクトのある姿に、カメラを構えた人々が集まり、入れ替わり立ち替わりシャッターを切っている。

まるで観光名所でも撮るかのように……。

幸運にも4月16日深夜に起きた本震時、従業員の女性・Aさんは社務所に隣接する事務所の中にいて無事だったという。落石がほんの数メートルでも事務所側にズレていたら、命を失っていたかもしれない。そんな奇跡的な経験をしたそうだ。

Aさんに「すごい音がしたでしょう? 怖かったでしょうね」と聞くと、「それが、まったく覚えてなかと。そのときのことだけ、記憶がすっぽり抜け落ちとるとよね……」と彼女は不思議そうに小首をかしげて、こう続けた。

「地震が起こったことや、この神社が被害を受けたことは、すごく悲しい。でもね、ここに来る人たちが写真を撮るのが不謹慎だなんて思わんよ。どんどん撮ってって言いたかね。観光地と思ってくれたらよかよ。どんな風になっているか知ってもらって、たくさん人に来てもらって、熊本ば盛り上げてほしかけんね。私たちだって、いつまでもメソメソしてはおられんけん。頑張らんと!」

その後、社務所の前を掃き清めると、Aさんは潰れた社務所に隣接する建物に入って行った。肝が座った情の深い女性のことを熊本では「火の国の女」と言うけれど、「Aさんはまさに、その代表選手みたいな人だったねぇ」と、母とふたり、彼女のたくましさに感心したのだった。

確かに、被害に遭った建物を見るためでもいい。痛ましい熊本城の姿を見るためでもいい。ひとりでも多くの人に熊本に来てほしい。何がきっかけだっていいじゃないか――。来てもらえたらきっと良さがわかってもらえるはず。

私もAさんの意見に大賛成だ。

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12幸いにも「熊本大神宮」の本殿と拝殿には被害はなかったのだとか。ある意味、「奇跡の神社」と言えるかもしれない。熊本を訪れる機会があったらぜひ、立ち寄っていただきたい。

 

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SnapCrab_NoName_2016-7-1_5-58-26_No-00熊本城へ続く「須戸口門(すどぐちもん)」は立ち入り禁止となっていた。また、全長242メートル、国の重要文化財である熊本城の長塀も約100メートルが倒壊。対岸にある「長塀通り」の石垣も崩落していた。ここから見る川と緑と長塀の風景が大好きで、高校時代はよく寄り道していたことを昨日のことのように思い出す。

 

小さな奇跡が重なって、命がつながる喜び。

熊本城から少し離れた場所にはなるが、私が卒業した小学校の近くにあるタクシー会社も甚大な被害を受けたと聞き、見に行ってみることにした。

子どものころ毎日通っていた坂道をぐんぐん下りて行くと、また目を疑いたくなるような光景が飛びこんで来た。

そのタクシー会社は1階部分にスペースのある、いわゆる「ピロティ形式」のビルで営業しており、1階はタクシーの待機場所となっていた。古いビルだったこともあり、本震の強い揺れに耐えきれず、1階が押し潰される格好になってしまったのだ。

女性従業員の方に断って写真を撮らせていただき、少しだけ話を聞かせてもらった。本震が起きたとき、事務員さんと数名のドライバーさんは、事務所で差し入れの果物を食べていたという。

「そうじゃなければ、通常6人くらいが車中で待機しとるはずだけん。あの日はたまたま運がよかったとよね」

最前列の1台に乗っていたドライバーさんだけ、天井に挟まれて車から出られなくなってしまった。そのため、大急ぎで皆で引っ張り出したのだという。幸い、大したケガもなかったそうだ。ここでも小さな奇跡が重なって命がつながっていた……。

よかった! 本当によかった!

ちなみに2016年6月末現在、このタクシー会社のビルは取り壊され、更地になっている。苦境に負けず、今後も営業を続けていくそうだ。

父母と「これからタクシーを利用するときは、ここの会社を呼ぼうね」などと話しながら、私たちはいま来た坂道を上り始めた。

いよいよ、この日の最終目的地である避難所へ行くことにした。

私にできることが何かないか――。見つけて行動することが、今回の帰省の目的のひとつでもあったのだ。

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18タクシー会社のビル。1階はタクシーの待機場所。2階と3階はオフィスとして使われていた。車体の運転席の部分を避けるようにビルが倒れているのがわかる。

(「その3」につづく)文・写真 高倉優子

 

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TAKAKURA

高倉優子(ライター・ブックレビュアー)
熊本県出身、東京都在住。新聞社勤務を経てフリーライターに。著名人のインタビューや、書籍の企画・執筆をはじめ、ブックレビュアーとして、書評、文庫解説の執筆、文学賞の選考などを行う。エッセイ「東京レター」(http://tan-su.com/series/tokyoletter)をTAN-SUで連載していたほか、ブログ「きょうの取材ノート」を日々更新。書評ユニット「東京女子書評部」を主宰し、イベント等を開催する。